HAPPY BIRTHDAY 〜 後日談 〜
お前と出会って最初の8月7日。 朝早く執務室に来てくれたエンジュは綺麗な声で俺に歌をプレゼントしてくれた。 俺はそれまでそんなプレゼントを女の子からもらった事が無かったから、すごく嬉しかった。 ・・・・いや、きっとエンジュだったから。 エンジュがそうやって祝ってくれたからすごく、すごく嬉しかったんだ。 ―― でも 「はああ・・・・」 思いっきりため息をついた風の守護星ユーイはそのままの勢いで後ろにひっくり返った。 途端に背中に感じる柔らかい草の感触と大地の匂い。 眼前には常春と言われる聖地の穏やかな空が広がっている。 この空はこの聖獣の宇宙が安定している証拠だ。 実際、守護星も全員集まりサクリアを司る石版も押さえ込んだ宇宙は順調に発展している。 だからその宇宙の発展に携わるユーイとしては悩みがあろうはずもないのだが、彼は常春の気候とは正反対に彼を知る人が見たら驚くぐらい渋い顔だ。 「ちぇ・・・・」 空とか大地とかユーイにとってはとても好きなものの力を借りればこのささくれ立った気持ちが少しは収まるかと思ったが、一向にそんな気配はなく、脳裏に思い出したくない会話がよみがえる。 ―― それはほんの偶然、レイチェル主催のお茶会で交わされた会話に出てきた。 『レディの歌声は本当に美しいですからね。』 『ああ?エンジュ?そういや俺の誕生日ん時も朝からバタバタ来て歌ってったな。』 (・・・・俺だけだと思ってたんだ。) エンジュの歌声を誕生日にプレゼントされたのは自分だけだと思っていた。 だから実はフランシスやレオナードも歌ってもらっていたことを知った時、驚いてそして・・・・ショックだった。 もちろん他の人だったら全然気にしなかっただろう。 でも相手はエンジュだったから。 1年のエトワールとしての使命を終えたエンジュは聖天使として聖地に残った ―― ユーイの恋人、エンジュだったから。 「いや!でも、エンジュがした事に俺がとやかく言えるわけないし。」 何度もそう思ってもどうしても割り切れない思いがつきまとう。 『特別』だと思いたかったんだ。 想いを伝える前だからエンジュが自分の事をなんとも思っていなかったかもしれないけど、それでもあの頃から『特別』だったと思いたかった。 「我が儘だ、俺・・・・」 それが恋をするという一つの苦しさなのだという悟った結論に達するには生憎ユーイはまだ若く、悶々と苦しんでこんな所まで出てきてしまったわけである。 「あーーーー!」 何をしても心の底に凝った嫌な感じを消化できず大の字になってとうとうユーイが叫んだちょうどその時 「ど、どうしたんですか?ユーイ様」 頭の上から振ってきた鈴を転がすような声に、ユーイはぎょっとして飛び起きた。 そしてきょとんっとしたように目を見開いている少女を見つける。 赤い制服に亜麻色の三つ編みの少女、エンジュがそこに立っていた。 「エンジュ!?なんでこんな所にいるんだ?」 「なんでって、ユーイ様に会いに行ったら補佐官の方に帰ってないって言われたんで探していたんですけど・・・・」 「そ、そうなのか?」 さっきの独り言を聞かれていなかったかと思ってドキドキしているユーイの隣にエンジュはすとんと座る。 同時にふわっと甘い香りがした。 「なんか甘い匂いがするな、お前。」 「え?ああ、オリヴィエ様に新作の香水をちょっとだけつけてもらったんです。」 嬉しそうに「似合いますか?」と聞いてくるエンジュはとても可愛く見えてどきっとする反面、急にさっきの嫌な気分を思い出す。 そして気が付いた時には口が勝手に動いていた。 「なあ、エンジュ。」 「はい?」 「エンジュにとって俺は・・・・・『特別』か?」 「え?」 エンジュが驚いてこっちを見たのがわかる。 でもユーイはエンジュの方を見ることができなかった。 これからまるでエンジュを疑うような事を言う。 それでも吐き出さずにはいられないぐらい、もう苦しかった。 「誕生日に歌、歌ってもらったの・・・・俺だけじゃなかったんだな。」 「え?・・・・・あ」 一瞬間があって、エンジュの口から零れた声の響きにユーイの胸がずきっと痛む。 「やっぱり、そうなんだな。」 「あの、ユーイ様?」 なんとなくユーイが落ち込んだ気配を察知したのか、エンジュがそっと覗き込んできた。 でも顔を見られたくなくてぷいっと反らす。 「今、俺の顔見ないでくれ・・・・ちょっと見せたくないんだ。」 きっと嫌な顔をしているから。 そんな顔を見せたくないと思って言ったのに、エンジュははっとしたように息を飲んだ。 「ユーイ様、もしかして怒ってます?」 「・・・・怒ってない。」 「嘘です!絶対、怒ってる!」 「怒ってない!」 「じゃあ、こっちをむいて下さい!」 「嫌だ!こんな・・・・こんな顔見せられるか。」 突っぱねて俯いたユーイにも途方に暮れたエンジュの気配が伝わってきた。 (呆れられたって見せられないものは見せられないじゃないか。・・・・こんな嫉妬してる顔なんて・・・・) 呆れられたい訳じゃないし、嫌われるなんてもっとごめんだ。 それでも不器用に顔を伏せるしかできないユーイが八方ふさがりの気持ちに唇を噛んだ、その瞬間 ふわっと甘い香りがして ぎゅっと背中から抱きしめられた。 「エ、エンジュ!?」 飛び上がった心臓と、驚いたせいで反射的に振り返ろうとしたユーイをエンジュはしっかり抱きついて止める。 動けなくなったユーイがダイレクトに伝わってくるエンジュの体温に耐えるようにぐっと拳を握った時、ぽつっとその耳元でエンジュが言った。 「・・・・ユーイ様のばか。」 「なっ!」 振り返ろうとして、やっぱり失敗して元にもどる。 「だって・・・・あの時はエトワールだったんですから、私。私が聖地にいられるのは1年だけだと思ってたし、守護聖様になっちゃったユーイ様の側に居られるなんて全然思ってなかったから・・・・。 だから・・・・『特別』扱いするわけにいかないじゃないですか。」 困ったような優しい声が紡ぐ響きに、言葉の言わんとする所を期待してユーイの鼓動が高鳴る。 その耳元でしばらく躊躇った後、エンジュが小さな声で言った。 「・・・・だけどこもってた想いは本当に『特別』だったのに。」 どくんっ (エンジュ・・・・) 「エンジュ!」 今度こそユーイは振り返った。 エンジュは真っ赤な顔で俯いていた。 「エンジュ、ごめん。」 「・・・・知りません・・・・」 「ごめんな。だから顔、見せてくれ。」 「・・・・嫌です・・・・」 「これじゃさっきと反対だな。」 苦笑してユーイはエンジュに手を伸ばす。 指先に触れる髪の、頬の感触に口元が緩んだ。 (エンジュの言うとおり、俺は馬鹿だよな。) 勝手に嫉妬して、エンジュに酷いことを言って・・・・これじゃ本当に幸せにするなんて言えない。 掬い上げるようにエンジュの顔を上げさせると、彼女は真っ赤な顔で少し怒ったようにこっちを見ていて。 「ごめん。」 「・・・・反省して下さい。」 「うん、わかってる。反省するよ。でもさ・・・・」 そう言ってそっとエンジュの髪を掻き上げてその耳元にユーイは囁いた。 途端にエンジュが目を丸くして、それからゆっくり笑ってくれた。 「・・・・だからエンジュ。」 こつんとおでこを合わせて、そっと瞼を閉じながらユーイはさっきまでどうやっても消えなかった気持ちが溶けている事に気が付いた。 (ああ、そうか。エンジュじゃなくちゃ駄目だったんだな。) 透き通った空でも、緑の大地でもなく、必要なのはエンジュだったんだ、と。 そんな事を想いながらユーイは言った。 「次の俺の誕生日もお前の歌、聞かせてくれ・・・・」 ―― 『本当はエンジュの声全部、俺のものにしたぐらいなんだ』 〜 Fin 〜 |